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めぐの自己紹介|11年育てた会社員キャリアを捨て、フリーランスに

基本情報

水野愛(みずの めぐみ)
1988年生まれ(35歳)
大阪生まれ大阪育ち
O型・左きき・右脳派のめちゃくちゃ感覚タイプ
趣味は音楽とキャンプ

<お仕事実績>
・2022年6月に開業
・企業や個人事業主のSNS運用代行
(InstagramやXなどのサポートやアドバイス)
・脱サラ後半年で会社員時代の月収超
・脱サラ後2年目の年商が会社員年収の2倍超
・単月売上は多い時で7桁超
・お仕事用Instagram1.2万フォロワー
https://www.instagram.com/meg_joy_sns/
・サポートしたアカウント30以上
・添削した投稿1500以上
・Instagramや仕事の悩み相談1000件以上

<コミュニティ>
2022年にWebフリーランススクール「リモラボ」2期生として入会
その後、運営や講師などにも携わる
代表こもりんとコラボライブを実施

 

私は新卒から入社した会社で11年働いていました。
福利厚生も整い、コロナ禍でもむしろ売上UP、教育にも熱心。

更には入社9年目に会社は上場。よほどのことがない限り、将来食いはぐれることはありません。

しかし、私はそんな安定キャリアを捨て
0からフリーランスという冒険に飛び込みました。

私は元々“休み”のために働くような、どこにでもいる会社員です。

なのになぜ、10人に3人は1年で辞めると言われているような、
フリーランスの厳しい世界へ飛び込んだのか。

そしてどうやって年収2倍を達成できたのか。

赤裸々に語っていきたいと思います。

もしあなたが

「このまま今の仕事でいいのかな」
「自分の可能性に蓋をしてる気がする」
「10年後も“何者でもない”自分のままなのかな」

そう思いながら今日も満員電車にゆられているのであれば、ぜひ読んでみてください。

 

子ども時代:空気読めない いじめられっ子

双子の兄と比べられながら育つ

私は大阪府堺市で双子の妹として生まれました。

父はサラリーマンをしながら休日は畑仕事をし、家族を支えてくれました。

母は家でピアノの先生をしながら、家事をすべてこなしながらも、大切に私たちを育ててくれました。

笑顔に溢れて恵まれた家庭で育った私。

双子だったわたしは、兄と比べられることが日常茶飯事。

「こっちが男の子?」なんて間違われたり、誕生日ケーキも1つで2人分のお祝いだったり。

そんな経験から自然と人と比べる癖が育っていきます。

人付き合いが不器用に

小さいころは、どちらかというと空気は読めない方。

昔からままごとをしたり、お話を書いたり、自分の世界に入り込みがちだった私。

小学校では友達のノリに合わせることが苦手でテレビの話題にもついて行けず…知ったかぶりをしながら会話の横でうなずく日々。

気づけば私はいじめの標的になってしまいます。

2人ペアや、席替えの自由席が苦痛で苦痛で仕方なく、不登校にはならなかったものの学校が嫌いになりました。

小学校の卒業時には収まりましたが、その時から人の目を顕著に気にするようになっていました。

 

中学~高校時代:毎日陸上部で駆け抜ける日々

夢に向かって駆け抜けた中学時代

走ることが好きだった私は陸上部に入りました。

全国大会を目指していたので、きつい練習にも耐える日々。

奇しくも全国出場は叶いませんでしたが、休みの日も筋トレや走り込みをするほど没頭していた日々は今振り返ってもキラキラしています。

そのまま3年生では絶対に入りたい高校があったので、受験勉強も頑張れました。

目標を持って何かに取り組むことが一番できていた時代でした。

メンヘラ高校時代

念願の高校生活。毎日がすごく楽しい反面、今までとは違い周りには勉強もスポーツもできる人ばかり。

中学時代は成績は悪くない方だった私も、高校では頑張っても後ろから数えたほうが早い順位に。

苦手な暗記の多い社会科では放課後に補修で居残り。

次第に授業についていけず、勉強へのやる気はゼロに。

さらに追いうちをかけるように私は失恋した衝撃でメンヘラ化します(笑)1本しかない支柱が折れて立てない感覚。

友だちからも「浮き沈みが激しすぎる」と怒られるぐらい情緒不安定。

将来の夢もなく心から行きたい大学もなく、大学受験にも身が入らず、とりあえず楽しそうなメディア系の学部があった大学へ進学することに。

ココから数年は“心からやりたいこと”が見つからずダラダラと毎日を過ごす日々が始まっていきます。

大学~就活:「やりたいことがない」

適当すぎる就職活動

大学時代はクリエイティブ系の学部だったので、動画やカメラ、グラフィックデザインなどを学んでいました。

しかし所詮素人レベル。仕事にしようなんて微塵も思っていなかったので、学んだことは趣味程度にしかなりませんでした。

そして就活が始まりますが、やりたいことも目標もない状態、

あわせて「好きなこと」を仕事にするのも怖いものだと思っていた私。

とりあえず名前の知っている会社を受けるも時代は就職氷河期。容赦なく全落ちでした。

「私って本当に社会でやっていけるんだろうか…」

どんどん自信がなくなるばかり。

そんな中、周りより少し遅れて大阪の会社になんとか内定。興味のあるような業界ではありませんでしたが、選んでいる余裕はありませんでした。

「まぁ元気そうな会社だし、教育熱心そうだし、成長できそうだしいっか!」

ためらいもなく内定承諾書に判を押しましたが、それが波乱の日々の幕開けだったのです…

社会人初期:仕事とは耐えることだった

入社したのは昭和気質が抜けない体育会系ブラック

入社した会社は超体育会系。入社後は理不尽のオンパレードでした。

・給料の発生する就業時間は9:00だが8:30までに出勤必須

・遅刻した場合は罰金を払わされる

・廊下には社員の始末書や反省文が10枚以上掲示されている

・男性は仕事で大きなミスをすると丸坊主

などこれ以上書くと引かれそうなのでここで止めますが

今思えば笑っちゃうほどヤバイ環境な、『The昭和』な会社。

ですが不思議なことに人間は慣れてしまう生き物。

違和感を感じながらも、気づけば「しんどいけどこれが当たり前」になってしまうのです。

ルーティンワークが向いてないとわかる事務職時代

私が最初に配属されたのは事務処理や電話対応をする部署でした。

しかし…ことごとくルーティンワークに向いていないことが判明。

でもなかなか人事異動も怒らず2年間も向かない仕事に耐える日々でした。

手順通りに繰り返し作業するのが苦痛で仕方ありませんでした。

更にマニュアルも整備されていない環境。

仕事はめちゃくちゃ雑に教えられ、泣きながら昼休み返上しメモを整理する日々…

しかし頑張っているつもりでもミスは連発。

そのたびに「なんでできないねん。やる気ないんか!」と当時の上長に怒鳴られました。

要領悪いポンコツの割に、忍耐力だけはあった私は、「こつは怒鳴っても大丈夫だ」と思われサンドバックのような扱いを受けていました。

「中学生のころ、好きなことに没頭してキラキラ頑張っていた」そんな自分の面影はすっかりなくなっていきました。

社会人不安爆発期:上場したのにわくわくしない…

会社が上場へ

そのままだらだらと5年、6年と辞めずに続けていくと、会社の環境が変わっていきました。

上場を目指すことになったのです。

「給料ももっと上がったり仕事しやすくなるかも!?」従業員みんな期待に胸を膨らませました。

実際に福利厚生が整い、入社当初は1年に1回しか使えなかった有給休暇も、全て取得できるようになりました。

今まで何日も有給が消えてなくなったり、サービス残業も多かったので、この進化私の中で大革命で本当にありがたかったです。

しかし…体育会系の風土や根本的な文化は変わることはありませんでした。

むしろ、余計に仕事へのプレッシャーがのしかかります。

「お前ら上場会社の社員やねんぞ。今のままでは恥ずかしいと思えよ?」

自分や周りの人への怒鳴り声はさらに増していきました。

なんだか理想と違う…

出世レースにも負け続け、表彰をされたこともない。

そんな私でも30歳を超え社歴が長くなってくると、役職をいただき部下も増えました。

会社では頼ってくれる人もたくさんいて、責任ある仕事も任されるようになるので

やりがいは大きくなりつつもそれ以上に仕事への不安が一気に重くなっていきました。

 

その割には年収は400万円を超えるのがやっと。

 

この年齢になると、社内外問わず同世代に出世して活躍する人が増えてきます。

高級車や家を買えるほどの収入を得る人も少なくありません。

しかし、私にとって出世とは耐えること。

会社からの圧力。無茶ぶり。時間の犠牲。

理想の生活はあるものの、収入増と引き換えに自分の精神衛生は保たれなくなると思っていました。

社会人キャリアチェンジ期:そして退職へ

「好きなことを仕事にしている人」に憧れる

しかし人生しんどいことばかりではありません。

29歳で結婚した相手と、30歳のとき念願の結婚式を挙げることができました。

私は人一倍ウエディングへの憧れが強く、人の結婚式に行くたびに「私のときはこれしよう、あれしよう」と妄想を繰り広げていました。

そしていざ自分の番!当時は「インスタ映え」の全盛期。リサーチももちろんインスタ。毎日何時間も画面にかじりついて参考になるアイデアを探していました。

その時に知ったのが「好きなことを個人で仕事にしている人の多さ」です。

手づくりブーケの販売、動画制作の代行、ワークショップの先生。

「私がこんなにモヤモヤしながら働いている一方、こんな楽しそうに働く人がいるんだ…。」

羨ましさと憧れ、そして同時に毎日やらされ感でしか仕事をしていない自分に対する残念な気持ちが押し寄せてきました。

仕事が楽しそうな人が周りに増える

30歳を超えてくると、周りに起業して活躍する人が増えました。

飲食店を開いてたくさんの人に愛されている友人
小さいころからの夢を叶えて音楽教室を開いた友人
そして、フリーランスになり朝から夜中まで働いているのになぜかとても楽しそうな妹。

一方、私は30歳になってもしんどいの割には年収は400万円台止まり。

毎年の経営発表会でも1度も表彰されることもなければどんどん要領の良い年下社員に抜かれても「悔しい」という気持ちに蓋をして耐える日々。

「何やってるんだろ。」考えれば凹むだけ。

 

更に追い打ちをかけるように会社では部署移動で人間関係の悩みが増えていきます。

なんでも否定から入る人や、突然怒りのスイッチが入る人と一緒に仕事をすることが多く

人の目を気にするタイプの私は、気の合わない人とのコミュニケーションにストレスが溜まる日々。

しまいには信頼を置いているはずの同僚に当たってしまうこともありました。

「こんなの私じゃない…」

心の中でのモヤモヤが溜まっていきます。

在宅での「リモートワーク」を体験する

2020年。世の中はコロナ禍に。大好きな飲み屋も、イベントも、テーマパークも、すべて閉鎖され人と会うことも悪とされるようになりました。

仕事のストレスを休日の遊びで発散していた私にとっては地獄のような日々。

しかしその中でも唯一の救いが。緊急事態宣言で会社が1ヶ月ほどリモートワークに切り替わったのです。

はじめてのリモートワークは感動的でした。

満員電車とは無縁。
スキマ時間に家事。
電話取らなくていい。
会社で飛び交う怒鳴り声を聴かなくていい。
Zoom切った瞬間に「クソヤロー!」って叫べる(笑)

こんな幸せな働き方があるんだと感動。仕事もはかどりました。

しかし、つかの間の幸せはそう長くは続きません。緊急事態宣言が解除された途端、出社に戻ることに。

ぶっちゃけ私の仕事はパソコンがあればできるしリモートの方が捗ったのですが、上司からすると横にすぐ部下がいる方がすぐ使えるし色々と都合がいい。

どうしても出社を好む会社だったのです。

「フリーランス」という選択肢との出会う

仕事のプレッシャーや責任感、そして人間関係は悪化をたどるばかり。

聞きたくもない、部下からの退職相談を受けることも増えました。

辞めたい要因はだいたい会社の雰囲気。

自分にコントロールできることでもないし、何なら私も辞められるなら辞めたいと思いながらでも、立場上ひきとめの言葉をかけることはとても辛かったです。

さらに退職相談で自分の仕事が押して残業。

気づけば気持ちがどんどん弱ってしまい、昔は「お前ほんまアホやな」と言われてもビクともしなかったのに、少し悪口を浴びるだけで涙が勝手に流れるほどに。

小さなダメージも、知らない間に蓄積され大きな傷になっていたんですね。

気づけば通勤電車の端っこで、勝手に涙が流れるようになりました。

誰にも見られない暗い夜道で号泣しながら歩いていたこともあります(今思えばやばい人・・・)

 

今その頃の自分に会えるなら「早く転職しなさい」と言いたいところですが、

ここまで育ててくれた上司に辞めたいと言えず、

また今の福利厚生や年収を手放す勇気も持てず

他で通用するかどうかもわからず行動できませんでした。

 

私の精神がどんどん崩れそうになったある日、Instagramである発信を見かけます。

 

それは「元保育士がフリーランスになり、家を持たず365日インスタの仕事をしながらホテル暮らしをしている」というものでした。

 

のちに私が人生を変えるきっかけとなったリモラボの代表こもりんのInstagramです。

それまで「副業=怪しい」「フリーランス=しんどい」みたいな漠然としたイメージがあったのですが

こもりんの投稿はマウントに見えるようなキラキラも、モヤっとするような煽りもなく等身大な発信。純粋に「いいなぁ」と思えたのです。

更には、私の大好きなInstagramを通じ、いろんな企業と一緒に仕事をしている。

「私が苦しんで働いている一方、こんな働き方をする人もいるんだ…めちゃくちゃカッコいいなぁ…」

気づけば毎日インスタをチェックするようになり、こもりんの投稿が私の現実逃避になっていました。

退職の引き金になる事件

そして、私の中で何かが吹っ切れた出来事が起こります。

それは毎月部署ごとに行う改善発表のこと。

その月は私が担当で、万全準備で臨んだのですが、内容が気に食わなかったようで50人以上の前で社長から怒鳴られたのです。

特にミスをしたわけでも、会社に損害を与えたわけでもないただの発表。なのに、まるで見せしめのように、フロア中に響く怒鳴り声。

事前にチェックをしてくれた上司は見てみぬふり。そりゃ自分の評価に響くかもしれないことです、そういう会社なので仕方ありません。

当時、私は震えが止まらなくなり人の目を盗んでトイレに駆け込み、ひたすら過呼吸を抑えていました。孤独でした。

あのとき事務所にいた社員の中には入社したばかりの新入社員もいました。「私この人みたいには絶対なりたくない」そんな心の声がたくさん聞こえた気がしました。

どうしてこんなに、恐怖と隣り合わせの状態で仕事をしないといけないんだろう…

仕事って成果を出すために行うものなのにどうして私は「怒られないため」に働いているんだろう。

限界を感じた私は、藁をもつかむ思いでこもりんに連絡をしました。

そしてフリーランスになる決意を固め、退職届を出す決断をすることになったのです。

退職届の提出

私の突然の退職届に上司は大きなショックを受けていて予想通り強い引き留めに合いました。

私は上司にも感謝の想いが強かったので、応えたい気持ちでもう一度退職を踏みとどまったのですが、そんな短期間で、会社は自分の理想の仕事場になるはずがありません。

怒鳴り声におびえる日々や、飛び交う愚痴が消えることはなく「やっぱり環境を変えないと自分の人生このままだ」と実感。

そこから1ヶ月で退職届を再提出し、正式に受理。その日見上げた空がいつもより青く見えたような気がしました。

辞める前、最後にもらった賞与はワースト2位の最低額。めちゃくちゃショックでしたが気持ちを切り替え、その後最後の賞与でノートパソコンを買いました(足りませんでしたがw)

そして決意したのです。

「絶対にもっと幸せになってやる」

そして2023年。私のフリーランス人生が幕を開けました。

フリーランス:後には引けないスタート

後先のない状態からのスタート

通常は副業からスタートし独立するケースが多いですが、私は一度退路を断ってゼロからスタートしました。

理由はあまりに会社がハードで、副業する気持ちの余裕なんて1ミリもなかったからです。

「とにかくInstagramを仕事にして1年以内に会社員時代の月収は超える」

そう決めて、残りの会社員時代はスマホゲームを消し、通勤時間は学習とインスタ投稿作成に充てる日々。

最終出社日が終わったあとは約1ヶ月の有給休暇に勝負をかけました。

入会した「リモラボ」の動画やプログラムをこなし、映画のサブスクも解約して誘惑を断ちました。

本当は1ヶ月だらだら~っと過ごす有給期間に理想を抱いていたはずなのに

とにかくフリーランスとして成功したくて、

会社員の憂鬱な日々に逆戻りは絶対嫌で、

毎日パソコンに向かう日々でした。

 

とにかくリモラボを使い倒そうと決めていたので

セミナ―には、旅行に向かう車内や、スキー場から参加したこともあります。

私は元々仕事も勉強も嫌いな人間でしたが

フリーランスへの挑戦を辞めたいと思ったことは不思議となかったです。

会社員時代と違い、好きなことを仕事にしようとしていた

何より周りにポジティブな言葉を使う人が増えたからです。

 

リモラボメンバーが成果報告を送るグループチャットには、案件獲得の喜びの声や上手くいった事例の共有など前向きな言葉が並んでいました。

「私も早くここに書き込むぞ!」

と目標をたて、集客に没頭した日々。

中学校時代ぶりに、前向きになにかに熱中できる自分を取り戻したことを実感していました

会社員以上にブラックのスタートアップ期

退職後1ヵ月ほどすると仕事が決まり、自分のInstagramからも案件を獲得できるようになってきました。

1つ1つがはじめてのことだらけだったので、手探りしながらクライアント対応を進めました。

不安なことももちろんありましたが、会社員時代にたくさんの理不尽を受けてきたのでちょっとしたイレギュラーなんて平気でこなせるようになっていました。

今思うと辛い会社員時代も無駄ではなかったなと感じ、むしろ感謝の気持ちも湧いてきます。

 

収入が下がるのが怖くて、少しキャパがいっぱいになりそうでも、来る案件は断らず。

毎日日付が変わるまで仕事をする日々。稼働時間にすると1日10時間以上。多い日は稼働時間が12時間を超えていました。

時には朝3時までパソコンを触るほど、寝る間を惜しんで行動したこともありました。

会社員時代より明らかにブラックな働き方です。(笑)

でも、不思議と辛くはありませんでした。

「好きなことが仕事になった」

この原動力は私にとって大きな味方になっていたのです。

更に“1件のお仕事が決まると、月収が5万円以上の単位で増える。

この収入の上り幅も大きなモチベーションでした。

1年間必死でもがいてA評価を取っても、月の昇給額はたったの1万円だった会社員時代から考えると、この変化は感動でしかありません。

やったことがそのまま自分の成果になる楽しさと、好きなことで人の役に立てるやりがい。

こんな変化が自分を、旅行にいくときも助手席でパソコンを開くほどの仕事が好き人間に変えてくれました。

そして気づけば、半年も経たないうちに、当初1年後の目標だった、会社員時代の月収は軽く超えられるようになっていたのです。

順調だと思った矢先に起きた、心折れるできごと

しかし、全てが上手く行ったわけではありません。

特に大きな課題は「継続」

フリーランスになり10ヶ月目目前だったとき、当時、一番高単価で受けた案件をたった3か月で切られてしまったことがありました。

その仕事はスルッと決まって喜んでいたのですが、それもつかの間。ふたを開けると提案したことが全く通らず、数字も伸びず、相手の満足いく結果が出せなかったのです。

私は売上を伸ばすために一緒に走るパートナーとして対応していくつもりでした。

しかしそれは所詮“つもり”。

クライアントにとっての満足した結果が出せなければ切られてしまうのがフリーランスの苦しいところです。

自分の力不足をひしひしと痛感しました。

更に追い打ちをかけるように、周りのフリーランスが大きな成果をあげたり、大手企業から必要とされたり、そんな活躍をSNSで立て続けに見かける日々。

自分と比べてしまい落ち込むことが増えてしまいます。

このころ初めて大きく心が折れそうになり、1日テレビをみてぼーっと過ごしてしまう日もありました。

「まぁ、会社員時代の収入も超えたことだし、場所や時間に縛られない働き方ができるようになった。私はこれ以上別に望むものもないよなぁ。」

そんな甘えた考えをするようになり、気づけば少しずつ休む時間が増えていきました。

しかし少し行動が止まると、一気に収入が落ちてしまうのがフリーランスの怖いところ。

その翌月は1年目の最高月収から売上を25万円も落としてしまいました。

クライアントの8割から追加依頼。そして継続年数もUP!

わたしが堕落しかけていたとき、ある経営者に言われた言葉があります。それは

「現状維持は退化」

時代も周りのライバルも進み続けている。自分が現状維持と思って止まっている間に、気づけば後ろから何人もの同業者が追いかけてきています。

そのことに気づきもう一度持ちなおそうと学習の幅も広げ、自分のInstagramアカウントをリニューアルし、途絶えていた更新も再開しました。

すると、一気に問合せが増え新しい仕事も決まるようになってきました。

最初は仕組み作りや対応でバタバタする日々。また寝る間を惜しんで働く日が始まります。

1人じゃもう間に合わないと、チームメンバーも増やしていきました。

そして目まぐるしく働く日々がまた始まり、気づけば最高月収を更新。

クライアントから立て続けに「これもやってほしい」「あれもできない?」と追加案件をもらえるようになり、それが続くことで売上がついに7桁を超えました。

 

更にフリーランスになった当初から育てていたInstagramアカウントは1万フォロワーを超え、宣伝や営業をしなくても自然と問合せが集まるように。

クライアントも、自分をチームメンバーとして迎え入れてくれる方が多く、ただお金を支払い仕事を受ける関係ではなく、一緒に目標に向けて仕事を行うパートナーになることができました。

 

仕事をする上で収入はもちろん大切。

だけど、それだけでは幸せになれない。

誰かに頼られている満足感、自分らしく生きるための心の安定、好きなことをに取り組める時間、そして健康。

いろんなことを欲張れるからこそ、本当の幸せなんだなと気づくことができました。

 

フリーランスになり2年が経つと、仕事がなくなる不安よりも、「明日はどんな仕事ができるのかな?」の楽しみの方が大きくなりました。

そして何より「今のままでいいや」と満足することがなくなりました。

現状維持の怖さを知ったこと、そして目標はお金だけじゃないと気づけたからです。

まとめ:フリーランスになって得られた大きな変化

2年を経て変わったこと

こうしてフリーランスになった私は会社員時代では考えられなかった、生活や収入を手に入れることができました。

2年目の年収は会社員時代の2倍に。

この額は正直、あのまま会社員を続けていても絶対に到達できていませんでした。(到達する前に心がつぶれていました(苦笑))

 

何も夢中になれることがなく休みのために働いていた私は
中学生の時以上に、没頭して毎日取り組める仕事に出会えました。

あんなに「好き」を仕事にすることにネガティブだった私は
「好き」と向き合えたことでやっと仕事に誇りを持てるようになりました。

「あの人みたいになりたくない」と思われていた私にも
「めぐさんに憧れます。」とDMがたくさん届くようになりました。

 

コツコツ投稿していためぐのInstagramアカウントはおかげさまで1.2万人に到達。

フリーランスになりたいと憧れて見ていたこもりんからは
私の投稿を紹介してもらったり、更に2024年はコラボライブの誘いをもらうまでになりました。

「あぁ、私もやればできるやん。咲く場所を間違ってたな。」今はそう思う日々。

これは、会社に与えてもらったのではなく、自分で選んで自分で作ってきた人生。

そう思うと、自己肯定感がみるみるうちに大きくなりました。

 

会社員時代、旅行は好きであっても3泊以上の旅行は頑張って年1回。

それが今ではパソコンをお供させることで毎月3泊以上ワーケーション(旅をしながら仕事をすること。ワーク+バケーションの造語)をすることができるようになりました。

時間の融通が利くので、平日にゆっくり母にランチをごちそうしてあげられるようにもなりました。

30を超えてやっと親孝行らしい親孝行が少しずつできるようになったなぁと思います。

これを読んでくださったあなたへ

11年の会社員時代でボロボロになっていた自分。

だけど、フリーランスになって

「私らしさ」のようなものを取り戻すことができました。

「今の自分が社会人時代で一番好き」と胸を張って言えるようになりました

もちろん全てが楽しいわけではありません。

今の仕事も試練や苦悩もたくさんあります。

やりたくないこともやらないといけません。

だけど、会社員時代に耐えていた日々があったからこそ、今はちょっとぐらい何があってもぶれない自分になれたんだと思います。

辛いこと、しんどいこともは未来を好転させるためにあったんだなと今では思えます。

 

人生は泣いても笑っても1度きり。

そして、今の時代は働き方が選べる。

 

本当は仕事が好きなのに、本当は実力があるのに。様々な理由で気持ちに蓋をしながら、満員電車に揺られている女性はたくさんいます。

まずは自分がいる場所とは別の世界のことを知りに行くこと。
制約や条件がなければ、本当は何がしたいのかを自分と真剣に向き合うことで
人生を変える大きな一歩は踏み出せます。
なぜなら私がそうだったから。

とっても遠回りしましたが、この体験や苦悩が、次は誰かの人生が変わるバトンになればこんな嬉しいことはありません。

次の私の目標は、周りを幸せにできる人になること。

そのためにも歩みを止めず、そして歩んできた道のりはブログに書き記し、たくさんの方の役に立っていきます。

めぐ